突然始まった介護から2年半。
介護から逃げたくなり、「共依存」というワードにたどり着きました。
親も自分も傷つけないために考えます。
そろそろ実家の親も高齢になってきて不安だけど、今は、子育てに一所懸命な方!
突然の介護から2年半。家族のためと頑張った結果はどうなったか?
私は、「共依存」という言葉の前に立ち尽くしています。
親の介護の備えのご参考に!
親の介護と「共依存」の沼 脱出できるか?
突然始まった介護 スタートは献身的
この時すべてにおいて、「共依存」生活は始まっている・・・
家事大好きの私の母は、働く私に代わり進んで孫たちのお世話をしていました。
(傍から見れば、うらやましい生活だったと思いますが、私には自責の念がありましたし、サポートと引き換えに、実家の望む理想の姿をキープし続けました。)
長年教員をしていた私は、コロナ禍「家族の時間」を大切にしたいと願い(肺に疾患のある高齢の母にこれ以上頼ってはならないという気持ちもあり)、働き方を見直し思い切って退職。
子どもたちに「いってらっしゃい」「おかえりなさい」の言える憧れの生活を手に入れ、息子の中学受験の伴走、娘の習い事のアシストなどをして満足して暮らしていました。
が、そんな生活は、あっという間に終わりを迎えます。
実家の親の介護が突然スタートしたのです。
(この時は、母の孫育児という生きがいを奪ってしまったせいで母が病気になってしまったのか?それとも、今まで孫のお世話をし続けたための疲労の蓄積のせいかとぐちゃぐちゃ考えました。)
フルタイムの仕事を辞めていた私は、「仕事との両立に悩まされず介護ができて幸せだ」とこの時は感じていました。
そして、このまま母が死んでしまったらどうしようという恐怖に襲われながら、心配で気が狂いそうになりながら、全身全霊を捧げた介護生活がスタートしました。
かつての心境を整理しただけでも、「共依存」というワードがぴったりはまってしまう。
\介護スタート時に参考になった本/
↑鳥居りんこさん:子育てに一生懸命になっている人は、介護にも必死になる傾向があるかも!って思いました。
親の介護2年半で音を上げる残念な私
介護の状況も人さまざま。
私の場合は、一番最悪な状態ではないことは重々承知です。
(この先、もっと大変な状況になる可能性もあります・・・。)
介護初期のころは、私自身「がんばらなきゃ!」ととても前向きでした。
\介護初期/
ほぼ毎朝、実家に安否確認の電話を入れ、オンラインの仕事を終えてから14時頃実家の母を迎え入れ、父と母に夕飯を提供し、実家に車で送っていくという生活を続けていくうちに、最初の頃の「自分で面倒が見られてラッキーだった」という気持ちが薄れてきました。
親を我が家に連れてくる生活は、週5日から週4日に減り、今は週3回が限界に・・・。
※我が家に連れてくる理由は、元気の源である孫と会わせてあげられるから。一度にご飯が済む方が楽だし!最近は、部活や塾などで子どもたちのご飯の時間もバラバラです。中高生の子どもたちの親離れは順調で(笑)、もはや「孫が元気の源」という年齢は過ぎていると感じています。でも、じいじ&ばあばにとってはかわいい孫たち…。
介護初期、スタートダッシュしすぎたせいか、今はもうヘトヘト。(←いつもこうなる)
「親の介護2年半」を迎えた先日、
「やっぱりデイサービス頼もうよ。」という発言で、両親と険悪な関係になりました。
老々介護をメインで頑張っている父にとって、この発言はダメだしととらえられたのかもしれません。
前回言った時と同じように、母はデイサービスを拒否し、そんなに負担だったらもううちに呼んでくれなくて結構だと・・・。
父は、髪も洗えるし、爪も切るから行きたくないデイサービスなんてやめてくれと。
この2年半、お風呂や爪切り、歯医者などの母の衛生的ケアのメインは私。
すべてをやり切れていないことに焦りがありました。
車いすの導入もてこずりましたが、デイサービスは2年半たっても親のプライドのため実現しません。
\車いすを探した時/
共依存という言葉を知る
「共依存」という言葉、知っていましたか?
「介護疲れたなー。」という思いでネット検索したまたまヒットしました。
自分のことを後回しにして、一生懸命やればやるほど空回りしていく。
心の底には、相手の心を無視して、コントロールしようとしている自分がいたりする。
「共依存者」は「依存者」に必要とされることに自分の価値を見出し、満足感を得ているため、献身的な行為や精神的な面を含めたコントロールを繰り返します。共に抜け出せないのが「共依存」なのだそう。
子育てのやり方は親子間で連鎖します。
過干渉・過保護、子育てでもやってしまっているかもしれないと思いました。
介護のこれからを考える
子育てでも介護でも相手にとってうれしいのは、
「心の安心感」であり、「より良い生活のための物理的な強制力」ではないと思います。
衛生管理をしっかりできているのが理想だけど、優先順位は「心」かも。
介護に義務感を感じるようになってから、笑顔で接することができなくなってきました。
生活維持のための機械的な機能としての介護しかできない自分に嫌気がさしているし、今日もこうやって介護から逃げてブログを書いています。
もともと「共依存」気味だった親子が、介護を通して密に連絡を取りあい、顔を合わせるようになり、「共依存」の沼にはまってしまいました。
よかれと思ってやる献身的な行為は、お互いの精神的なコントロールにつながり、
もはや、ガッチガチに縛りあっている関係です。
介護というのは、物理的な自立が無理だからするべきものですが、
精神の自立はあるべきだと思います。
わたしはわたし、あなたはあなたで、すべては思い通りにはならない。
こんな当たり前のこと、私は気付かずにやってきていました。
「共依存」という言葉の定義を調べていたら、
「バウンダリー」という言葉も併せて学ぶことができました。
「バウンダリー」という言葉を知っていますか?
直訳すると「境界線」ですが、自分と他人、あるいは「私の世界にここまではあなたは入ってきてもいいけど、ここからはダメ」という境界線のことを意味して使われます。
「あなたや孫のため」と親が子育てに過干渉。精神科医が語る「バウンダリー」の危険(内田 舞) - 2ページ目 | FRaU
私が、母や父に対して、「デイサービス」を強要するものダメだし、
だからと言って、こちらの「バウンダリー」を超えて日常生活にまで影響を受けてはいけないと考えるようになりました。
私が、勝手に実家を心配し、義務感で介護に突っ込んで行っているのですが・・・。
この強制的な「こうすべきだ」という思いやりは、実家の方針をそのまま返しているようでもあります。
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子育ての話にそれますが、
私は、子どもたちの「バウンダリー」を乗り越えて、自分がよかれと思いやってしまったあと後悔することが多々あります。「バウンダリー」を乗り越えてくることなく家族をみまもってくるパパ(主人)の距離感はやっぱり絶妙です。自分の「こうあるべき」を絶対に押し付けてこないので、いやな思いをされられることがなく、誰からも好かれています!
放置はだめだけど、過保護・過干渉の子育ては、大人になってから悪影響が出てくると実感しております。
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私は「介護離職」ではありませんが、「介護離職」はしないほうがいいという意味、最近はよくわかります。
仕事を続けながらの介護は大変です。(私には無理だと思う・・・。)
でも、仕事のある日は「介護できない」という変な安心感があるものです。
そして、実家から遠く離れていいて、思うように介護ができないという悩みがある方もいるかもしれませんが、近居ですべてができるから罪悪感から解放されるというわけでもないことがお分かりになるかと思います。
近すぎるからこその悩みもかなり苦しゅうございます。
今は、親を傷つけている状態にあるかもしれませんが、この先「終わりの見えない介護中心の生活」では嫌だと思うようになってきています。
明日はきっといい方向へ進んでいく!
最後までご覧いただきありがとうございました。