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埼玉県公立高校共学化ー渦中の「浦和第一女子高校」とはー

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埼玉県の高校共学化論争、感情的に意見を言って良いのなら「浦和第一女子高校」の伝統を埼玉に残して欲しい!!無くしてほしくない。

別学のまま、浦高と一女で「学生交流連合」みたいな形で時々一緒に授業するのはどうですか??母校、浦和一女への愛を語ります。

ゆみママの主張

埼玉の男女別学は埼玉の文化だ!

・埼玉県の男女別学は、歴史的にもおもしろい特色がある。

・浦和第一女子高校は当時の判断で敢えて女子校として残されたのではないか。

・地元に根付く浦和一女。教育水準の高さで有名な浦和市岸町の地域のイメージアップにも貢献している。

・明治33年から続く、伝統ある女子校で卒業生も一女を大切にしている。

・生徒達は固定観念のジェンダーなど気にないリーダー性あり。

埼玉県公立高校共学化ー渦中の「浦和第一女子高校」とはー

NHKネタドリで、2024年6月21日に報じられ、X(旧ツイッター)でも話題となっておりました。

www.nhk.jp

なぜ埼玉県の公立高校は男子校と女子校に別れている?

それは、戦後の連合国総司令部(GHQ)の政策が行き渡らなかったためだと在学中に聞いています。

1945年 終戦→GHQによるアメリカ主導の改革のスタート

1950年 朝鮮戦争が始まり、南から進んでいたGHQの共学化政策はストップ

長い歴史と伝統をもつ学校に限り、男女別学が認められた県もあった。関東地方では、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県で男女別学の高等学校が認められ、現在でもその名残が見られる

戦後、GHQより新制高等学校は男女共学化を命令されたはずだが、埼玉・群馬・栃木の3県には男女別学の県... | レファレンス協同データベース

埼玉県の男女別学は、歴史的にもおもしろい特色だと思います!

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浦和第一女子高校とはどんな学校?

一言で言えば

「歴史と伝統のある、埼玉県トップの公立女子高校」

です。

 

「東大・京大へ行きたい女子は、浦和高校へ入れない。高い学費を払って東京の私学へ行くしかない。」

NHKネタドリのこの部分が切り取られ話題になりましたが、「浦和第一女子高校」の存在を忘れないでいただきたい。2023年は6名(現役5名)東京大学へ合格しています。

 

通称「浦和一女(うらわいちじょ)」とか「一女(いちじょ)」と呼ばれていて、生徒は「一女生(いちじょせい)」と近所の方には呼ばれています。

urawaichijo-h.spec.ed.jp

かつては浦和第二女子高校もあったそうですが、1950年は共学化し現在の「浦和西高校」となっております。(1950年ということは、GHQの政策によるものだったのでしょうか?)

なお、浦和西高校は『エースをねらえ!』のモデルとなった学校としても有名です。

先ほど、朝鮮戦争でGHQの政策がストップしたと聞いていると書きましたが、もし浦和第二女子高校がこの時に共学化したのなら、浦和第一女子高校は当時の判断で敢えて女子校として残されたのだということが言えると思います。

また、よく進学校で出される「東大合格者数」ですが、2024年は2名。

その前年の2023年は6名、2024年は4名というデータが公開されています。

東大志望やら医学部志望の子が普通にいるのが浦和一女。

そして、現在は、同じく男女別学の埼玉県公立女子高校の川越女子高校とともに、スーパーサイエンスハイスクール指定校となっており、理系にも力を入れていると聞いています。

最寄り駅と立地

最寄り駅は、埼玉県のJR「浦和駅」。

ちなみに、男子校の浦和高校はとなりのJR「北浦和」駅。

2校は、徒歩で1時間弱離れていいます。

 

浦和一女の近くには、「調神社(つきのみやじんじゃ)」があります。

ここは、狛犬ではなくこまうさぎ?がいて、部活の大会必勝祈願などで訪れたりもしました。

visitsaitamacity.jp

最寄りの浦和駅から徒歩で8分くらいのところに学校はあります。

再開発された美しい浦和駅前を通り抜け、住宅街のゆるやかな坂道を登った場所に、浦和一女の正門があります。

たのしく、ガーガーおしゃべりをしながら登校する姿から、学校まで続く道は「あひる坂」と呼ばれていました。

今もそう呼ばれているのかな。

地元から愛されている浦和女子高校!

浦和市岸町は教育水準の高さで有名ですが、地域のイメージアップにも貢献しているのでは。

浦和第一女子高校の校歌の歌詞がすごい

当時は入学すると、音楽部の3年生からの「校歌指導」がありました。

(当時音楽部部長だった私も、ステージで新1年生に一女の校歌を紹介しました。)

春夏秋冬で構成され、4番まであるのですが、

みんなが驚く歌詞が、盛り上がるところで入ってくる「選ばれて」という歌詞。

(入学したばかりの新1年生は、受験に選ばれて来た?と解釈します。)

1番「選ばれて すごす喜び」

2番「選ばれて 誇る幸い」

3番「選ばれて 集うさだめを」

4番「選ばれて 受ける楽しさ」

メロディーはとても美しいのですが、ここのスパイスがたまらない。

一女が共学化してしまったらこの歌詞もなくなってしまうと思うと悲しくてなりません。

一女生は母校を誇りに思っています。

浦和一女の制服は布代をケチっている?

↑こちらが、一般的なプリーツスカート

 

浦和一女といえば、制服も独特です。

女子の制服のスカートといえば、プリーツスカートが多いと思いますが、一女の制服のスカートは「フレアースカート」です。

1950年(昭和25年)からデザインは変わっていません。

当時の家庭科の先生が、「フレアースカートの方が、生地が少なくてすむでしょ。戦後すぐだったから一女の制服はフレアースカートなのよっ。」っておっしゃっていたような。

当時音楽部のOG会の名称は「フレアースカートを脱いだ会」でした。

やっぱり響きがよろしくないということで、今はこの名前は使っていません。

ちなみに、校章は主張あるギラギラした菱形のような形をしています。

通称「ゴキブリバッジ」と呼ばれていました。

部活の大会に行くときは、交換用に3つ4つ買って持っていったもです。

埼玉県立浦和第一女子高等学校(一女)は、明治33年の開校以来、現在に至るまで125年にわたり、埼玉県女子教育のトップリーダーとして、国内外で活躍する3万2千人余りの卒業生を輩出しています。この間、一女は一貫して、教養に溢れ、人間性豊かな、品格ある女性の育成を目指してきました。

浦和一女ホームページより。

明治33年から続く、伝統ある女子校です。

浦和第一女子高校はとにかく自由な校風

一女は、すごーく自由な校風かつ、女の子ばかりですが活気がありました。

例えば、先生が出張等で「自習」の時間ができたとします。

ここからが、日直の腕の見せ所で、先生の居場所である教科の部屋(職員室はありませんでした)へ行き、6時間目の授業を自習になった2時間目にしてくれないかと交渉します。

うまく交渉が成立すると、6時間目は空き時間となり、自由な時間を部室で過ごしたり、浦和駅の須原屋(本屋)まで行ったりすることもできました。

文化祭・体育祭は男子なしで大盛り上がりです。

もちろん、お客様としてご招待するのですが、後夜祭は「一女生だけ」で盛り上がりました。(今もそうかな?)

そして、他校に彼氏のいる子は、その後夜祭の時間は門の外に連れを待たせているという風景が見られたものです。

浦和一女生は固定観念のジェンダーなど気にしていない人がほとんどだと思います。一女という環境は、多様性そのもの。

むしろ、女子校だからとか男子校だからということを気にしすぎる方が、ジェンダーに過剰に反応しているように思えます。

一女は全国大会レベルの部活が多い

 

「音楽部」は全日本合唱コンクール全国大会の常連です。

厳しく苦しく部活をするのではなく、当時から定休日もきちんと設けていました。

指定校推薦も多くあり、12月まで部活をしてたのに、さらりと有名大学に進学していく人達が!!

ボート部が活躍していて、校内でも「あっ、あの子はボート部だっ。」って分かるようなオーラが出ていました。

文武両道の女子も多し。

 

令和5年の全国大会の実績を見ると・・・

水泳部、ボート部、アナウンス部、競技かるた部、文芸部、書道部、音楽部

こんなに多くの部活が全国大会で活躍しています。

女子校だからこそ、女子部員が多く集まり、部活の伝統も続いているのではないでしょうか。

最後に「埼玉共学化」への私論

私が共学化を反対する理由は、「伝統が」という理由がメインだと思います。

埼玉の男女別学は埼玉の文化だ!という考え方。

現在在学中の生徒さん達も、同じような考えで反対している方も多いと思います。

現在「浦和高校」や「浦和第一女子高校」を別学だからという理由で選んでいる人がどれだけいるのかは気になるところです。

また「共学じゃないから伝統校だけどやめておこう。」と選ばない人がどれだけ増えてくるのか。

現時点では、まだまだ別学でも「選ばれて」いる、浦和第一女子高校。

しかし、公立共学校の大宮高校の方を選ぶという声も聞きます。(大宮高校がどんどん伸びている?)

この先「女子校だから」という理由で、受験生が減っていくのであれば、その時、生き残りをかけて議論するのではおそいのでしょうか?

男子校の浦和高校(浦高うらこう)の現役生は、今後何を望むのでしょうか。

「答えのない共学化問題」、焦って結論を出して欲しくはないです。

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校歌・校章 愛校心:追記

2024年6月30日 たまたまテレビをつけたら、大阪の閉校してしまった学校が国を超えてベトナムに残っているというのを見ました。

学校閉鎖を悲しんだOBが奔走し、校歌のメロディーや校章、「カトシン」という愛称をそのままベトナムの学校に使ってもらったというのです。

今後も少子化に伴い、学校が減ったり、形態が変わったりしていくでしょう。

自分の好きだった学校を忘れたくないという気持ちに共感しました。

これまでの放送|ナニコレ珍百景|テレビ朝日

地元で「カシトン」という愛称で呼ばれ、2021年に閉校になった大阪府立柏原東高校の名前がベトナムの小学校に残っている光景。
柏原東高校は、閉校になることが2013年に決定したが、このまま学校がなくなってしまうのは寂しいと思い、同窓会長、副会長、幹事の3人が中心となって残っている同窓会費1000万円ほどを使って何かできないか考えたという。
ベトナムに小学校を建てることができるという話を聞き、交渉を重ねた結果、800万円ほどを小学校建設費用、200万円ほどを図書館建設費用として寄贈したという。
4年前にできたベトナムの小学校が友好と感謝の証として「キムソンカシトン小学校」と、カシトンの呼称を校名に入れてくれたという。
さらに、校歌のメロディ、校章もひきついでくれたそう。

 

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