国語教師をやっていると、次のような質問を受けます。
「国語勉強の方法が分からないから教えてください。」
「塾に行かず受験する予定です。大丈夫でしょうか。」
この件、国語教師でも悩ましく思っているのです・・・。
記事の筆者のゆみママです。↓↓↓
国語のテストと国語の授業が一致しない!?
国語の授業と受験では求めるものが違う?
授業では、読解文の解き方なんてほとんど教えてもらっていないのに、テストには「理由を答えなさい。」だとか、「心情として適切なものを選び記号で答えなさい。」なんて問題がどんどん出てきます。
なんか変ですよね。
国語の授業で目指すところはどこなのか。
公立中学校の教師は「言葉によるものの見方・考え方」が深まるようカリキュラムを組み、授業を考えています。(学習指導要領に則っています。)
例えば、説明文では「筆者の世界観」も同時に読み取り、自分にはなかった視点を学べるよう授業を展開します。
光村の中1の教科書で稲垣栄洋さんの「ダイコンは大きな根?」という説明文を学ぶ時には、ただ内容の読み取りである「ダイコンの上と下で味が違うという事実の読解」だけでなく、惹きつけて分かり易く説明する文の書き方のコツを学んだり、稲垣さんのものの見方から自分自身の発想との違いを考えたりもします。(テストではなかなか評価できない部分です。)
\平行読書:稲垣さんの本を紹介/
※平行読書とは:教科書教材と関連付けて本や文章を読むこと!
これにより、知識が深まったり読書量が増える効果が期待されます。
そして、塾の授業のような問題の実践演習は公立中学校の授業のカリキュラムにはありません。(本質的な部分はありますが、テクニックの指導はなし・・・。)
例えば、授業の中で、「その理由として適さないものを二つ選び記号で答えなさい。」という読み方はやっていません。(でもテストには出てきます。)
また、最近では「主体的・対話的で深い学び」ということにスポットが当たっており、グループで意見をぶつけ合い問題解決するような授業が求められたりもします。
受験では、問題を解き正解を導くことがメインで求められており、他の人と対話しながら自分の意見を固めていくというものは求められていません。
大学入試改革で「共通テストに記述式問題を」という流れがありましたが、見送られています。
それには次の3つの理由が挙げられていました。
1.採点の精度をどのように確保するのか
2.自己採点の難しさ
3.費用対効果の疑問
「自分の意見を述べる記述問題」がメインとなってくると、どれだけ時間を費やしても、誰もが納得いく合否はつけられないと思います。
(結局、表記という知識的な分野で差がついてしまうのではないでしょうか。
人の考え方や思考の深さの評価をするのは難しいことです。)
公立中学校の国語の授業も試験問題対策にすれば良いのか?
受験対策を公立の授業の中でもっと取り入れる必要はあると思います。
なぜなら、「塾に行かなくても受験することはできますか?」と聞かれたとき、現状では「YES」とは言い切れないからです。
受験で、読解問題を出題している以上、学校でももっと実際の試験に対応する力を付ける時間も与えるべきです。
「塾に行かなくても大丈夫ですか?」と聞かれた時には、
「自分にあった問題集を1冊はやり遂げてください。」
と答えていました。
問題集を紹介してくださいと言われると、実際にはその子の実力にあったものを選ばなくてはなりません。
中学1年生でも、やり応えのある問題がいっぱい掲載されています。
↓
個人的に「受験研究社」のドリルが好きで、紹介してくださいと言われたらオススメしていました。
国語については、必ずしも、自分の学年のものをやる必要はありません。
学校の副教材では揃えることはできない問題集。
1年で1冊やり遂げることができれば、力がつきます。(家庭学習になりますが・・・。)
受験の国語対策は受験問題を沢山解くこと!
試験の形式に慣れる
国語の問題の答え方には、ある程度「規則」があります。
・一文で答えなさい。
・句読点を含む
・最初と最後の五字を書き抜きなさい。
・理由を答えなさい
これらは、知識がないと正解できないテストによく使われるいいまわしです。
例えば「一文」と書いてあったら、「文とは”句点~句点まで”」という文法的な知識も一緒に問われているので、抜き出す場所があっていても「文」の途中からでは×になってしまいます。
同じように、「主語を書き抜きなさい」という場合も注意が必要です。
厳密には「主語」とは「文節単位の文の成分」の名称(中1文法の内容です)です。
例:コップが割れてしまいました。
中学生以上は、この例文の主語を問われたら「コップ」ではなく「コップが」と答えるのが正しいです。
このような「国語のテストのテクニック」のようなことは問題演習を繰り返すことで慣れ身についていきます。
読解問題:読んでも何の話か頭に入ってこないという場合
私は、現在公立中学校を退職し、アメリカで生活している生徒さんに「国語の授業」を提供しています。
中には、文章読解で「何の話か分からない~。」と苦労している子も・・・。
音読はできるけれど、内容が頭に入ってこない状態かと。
中1の秋には古典で「竹取物語=かぐや姫の話」を学習します。
私の教えているアメリカ在住の中学生は、日本の歴史は学習していない子がほとんどで「平安時代」のイメージがわきません。
また、アメリカで生まれ育った子にとっては、「富士山」は見たこともないし、身近な山でもありません。
「かぐや姫からもらった不老不死の薬を焼くために、武士をたくさん連れて登った山だから”士に富む山”とで”富士山”と名付けられた。」
という文章が出てきた時、日本で生活している子との理解の差がかなりあると感じました。
それは、「賢い」「賢くない」ではなくて、見たり聞いたりしているかしていないかの差です。
読んでいても分からないのは、その話に関する体験がないから想像すらできないというのが大きな要素だと思います。
同じ日本国内に住んでいても、このような「体験の差」による、「読解力の差」は多くみられます。
「体験がないから分からない」のはみんな同じ
先ほどの、アメリカ生まれ育った子が「富士山というものに対する日本人の感覚」が分からないというのと、試験問題に出てきた話の内容が分からないというのは似ています。
受験の国語の問題では、
・駅伝選手に選ばれたが、足をひっぱり苦しい思いをした話
・戦争の時代、家族と離ればなれになった苦しい体験
など、自分が経験する機会がなかったことや、昔のことなども出題されます。
自分の想像力を駆使して状況を考えることとなると思います。
過去の読書経験の有無によっても理解の度合いが変わってくるのではないでしょうか。
ということで、「読書」は体験を補うものとして大切だということが言えると思います。
何を読めばいいかわからない場合は教科書の案内を!
国語の教科書には、「読書案内」のページがあります。
その学年に応じたオススメの本が何冊も紹介されています。
私は、学校の図書室の選書の際「教科書ですすめられている本は学校の図書室に置けるよう」つとめてきました。
学校の図書室になければ、地域の図書館にきっとあるはずです。
教科書の「読書案内」のページを見て全部制覇するとかなりの読書量となります。
是非やってみてください。
もっと本を読んでおけばよかった!
本の中で体験しておけばよかった~!!
手遅れの人大丈夫です。
受験問題を沢山解いて読書と同じ効果を得る
受験直前に控えている場合には、「受験の読解問題」を読むことで足りていなかった読書の経験を補うことができます。
試験問題に登場する文章は、良質なものばかりです。
○×ばかりに気を取られず、出会った文章にしっかり向きあってください。
「受験当日まで延びる!」その言葉を信じて、解いた分だけ報われると信じ頑張って欲しいです。
人生は、受験や就職が目的ではありません。
公立中学校の国語の授業で求めている「言葉によるものの見方・考え方」を広げるという考え方は、豊かな生き方を目指すことに叶っています。
公立中学校の国語の授業は、受験対策にはならないかもしれないけれど、筆者や友達との対話の中から自分の考え方を変化させつつ成長することが出来る時間だと思います。